
芸術と工芸を行き来して・井波彫刻師 野村清宝
芸術を学び工芸をする
代々彫刻師の家系に生まれ育ち、疑うこともなく彫刻師になったという野村氏。高校卒業後は金沢美術工芸大学に進学し、彫刻を専攻。「自分達の時代にはできなかった、芸術の基礎を学んできてほしい」という父の願いもあり、進学したという。
在学中に19歳で日展に初入選。その後も日彫展にも出品し入選するなど、在学中から華々しく活躍した。
大学卒業後に井波へ戻り、現代の名工でもある父のもとで修行し、彫刻師となった。
現在は、朝起きたら彫刻師として18時くらいまで作品を制作し、また夜になれば今度は彫刻作家としての作品を制作する日々を送っている。
双方を行き来して
彫刻師として作るものは、主に社寺彫刻や欄間。彫刻作家として作るものは人物の塑像が中心だ。彫刻師として天神様などの人物像も作るが、作家として作る人物像は全く趣が異なる。
伝統的な技法で作られた作品の数々と現代的な塑像作品とが並ぶ工房は、木彫刻の今と昔が交差する空間のようだ。
素人目には井波彫刻も芸術品のように思われるが、井波彫刻は伝統工芸であり、純粋芸術とは違うと野村氏は言う。見られる技術の違いもあるが、一番大きな違いは「模倣を是とするか否か」。
伝統工芸は、模倣を否定しない。むしろ決められたことを守り、同じものを早く綺麗に作ることができると腕がいいとされるが、純粋芸術の世界でそれはNGだ。
しかし、思い描いたものを作ろうとしたときにはやはり技術がないとできない。
そうしたときに井波で伝統的に培われた技術が生き、さらに各々のオリジナリティを乗せることで羽ばたいていけるのではないか。そう、野村氏は語った。
「両方やっているから両方の良さがわかるし、双方を行き来しながら互いの良さを応用することができる」
彫刻師としての思い
井波彫刻について
―野村さんの今後やってみたいことや目標について教えていただけますか。
欄間の受注をずっとやってきましたが、欄間は今需要が落ちているから、この技術を生かして何か欄間のような目玉になるようなものを開発していかないとと思いますね。それが井波彫刻の今の課題だと思います。
それと、井波は名古屋城や首里城のような文化財の復元の需要がありますが、それは彫刻師の集団が井波にしかいないからということはもちろん、欄間で培った技術があるから。
ただし、今は若い人は修業時代から欄間を教わっていなかったり、欄間をやっていない人も多い。教えられる人が存命なのでまだ今なら若い人に教えられる、伝承できる。
でも10年後はどうなっているかわからないから、今が大事な時期ではないかと思います。自分らが欄間をやってきた最後の世代だから、そういうことも必要だと思いますね。
作り手としての哲学
―野村さんが彫刻を作る際に大切にしていることについて教えていただけますか。
接したお客さんに喜んでもらえるものをつくること。それがすべてですね。
―人生で大事にしていることも教えてください。
慣れないこと。慣れが一番ダメなことだと思います。これがこうだからこうなってしまうよね、という感覚でやらないこと。常に初心で。これを戒めにしています。