豪華な井波彫刻の欄間、アメリカ・フロリダの博物館へ|寄稿文
横幅は最大で282センチ、高さ40センチ、厚さ7センチの大型欄間7点が、日本を離れ、アメリカ・フロリダ州のモリカミ博物館・日本庭園に寄贈されます。
2026年9月18日(金曜日)、南砺市井波で行われた記者会見と調印式には、作者の家族や関係者が立ち会い、贈られる欄間に見入っていました。
井波彫刻の欄間が、まとまった作品として海外の博物館に収蔵されるのは、これが初めてのことです。
兼六園を彫り込んだ、ひとつの依頼から
7点の欄間を手がけたのは、景観を題材とする作品を得意とした井波彫刻師・谷口草雲さんです。1981年12月に完成させたこの作品群には、金沢・兼六園の「ことじ灯籠」や唐崎松、金沢城など、加賀・能登地方の景観が彫り込まれています。
依頼したのは、兼六園近くにあった料亭「兼見御亭」(けんけんおちん)。創業に合わせ、大広間を飾る一枚として制作を依頼しました。当時の女将だった馬場花子さんは、井波出身で、谷口さんとは以前から面識がありました。大広間をより豪華に見せようと、一般的な欄間より幅を広くし、地元の風物を題材とすることを花子さんの息子・吉晃さんから谷口さんに依頼しました。
制作には約2年を要したとされ、完成した欄間の出来栄えは、現役の彫刻師たちの間でも「これだけ手の込んだものは、なかなかない」と評判になったそうです。
閉業時に女将を務め、欄間の所有者でもある馬場華幸さんは「多くの人に見てもらえれば」という熱い思いから、今回、井波彫刻協同組合への贈呈を決断しました。
表裏を彫り分ける、井波彫刻の技
「欄間」という建具は、部屋と部屋の間に据えられるため、どちら側から見ても自然でなければなりません。彫刻師は平面の下絵を頭の中で立体に組み立て、表を彫りながら同時に裏側の形もつくり出します。鏡を使って反対側からの見え方を確かめながら、両面を仕上げていくのです。
井波彫刻の欄間は、下から見上げたときに奥行きと立体感が際立つよう計算されて彫られています。仕上げにサンドペーパーは使わず、最後まで鑿だけで仕上げるのが井波彫刻の技です。
プリンストン大学生が見た、井波彫刻の「後継者育成問題」
今回、アメリカへ渡るきっかけは、昨年11月から12月にかけて行われたアメリカ巡回展でした。
高度経済成長期、井波では住宅用の欄間が一大産業として栄え、彫刻師たちは腕を競いながら透かし彫りや籠彫りといった高度な技術を磨いていきました。しかし住宅の洋風化が進み、欄間の注文は大きく減少しています。今回のような大型欄間を創る機会は、極めて少なくなっています。作品を保存するだけでは次の世代へ伝わりません。若い世代が鑿を握り、井波彫刻と向き合うことで、受け継がなければいけません。
この課題に向き合ったのが、井波彫刻師・三代目南部白雲さんらでした。アメリカ7都市10会場をめぐる巡回展を企画・実施する中で立ち寄ったのが、日系人にゆかりのあるモリカミ博物館・日本庭園です。日本の文物を約8,000点所蔵し、広大な日本庭園を構える同館との間に、新たな縁が生まれました。組合側から働きかけ、恒久収蔵品としての受け入れが決まりました。
関連記事: 『井波彫刻、米国7都市で巡回展』(東京井波会 井波だより 第23号)
アメリカで、そして日本で。注目を浴びる井波彫刻
井波彫刻協同組合の酒井秀哲理事長は、今回の寄贈に期待を寄せていました。
「アメリカで井波彫刻が広く知られ、壁を飾る木彫の芸術として新しい可能性を開いてほしい。」
モリカミ博物館では、今年11月にも一部の作品を先行展示するほか、来年秋には谷口信夫さんらを招いた講演会も予定されています。作品をアメリカ国内の他の博物館へ貸し出す構想もあるといい、海外での関心はさらに広がりそうです。
井波彫刻文化交流コーディネーターを務める中嶋勝彦さんは、「250年の歴史と高度な技術を持つ井波彫刻が、海外で評価される機会になる。」と話しています。250年以上の歴史を持ちながら、全国的にはまだ広く知られていない井波彫刻の魅力。海外での評価により、井波彫刻が国内で再評価されることが期待されています。
販路拡大や後継者不足等が長年の課題となってきた井波彫刻にとって、アメリカへ渡る欄間は、新しい市場と、次の世代へ技術をつなぐための一歩になるかもしれません。
現在、目まぐるしい技術開発で、完璧さや効率が求められる時代へと変化しています。そんな時代だからこそ、時間をかけてゆっくり作り出す井波彫刻という伝統工芸は、人々を圧倒させる存在になると考えています。ぜひ読んでくださっている皆さまも、井波へ彫刻を見に遊びに来てくださいね。
関連サイト: 井波彫刻協同組合公式サイト
文:南砺市地域おこし協力隊 地域資源活用担当 奥崎将大